breathdiary

                       

   

弟のこと

私が7歳の時に、我が家へ生まれてきた小さな天使。 もう毎日、嬉しくて

それは、それは可愛がっていた弟。 私にとっての小さな恋人。(おもちゃ・・)

いたずらにうっすら口紅をぬったり、何も知らずにニコニコと笑っている顔。

庭で一緒に座り込んで、おどける私に弾けるような笑い声で答えている小さな体。

ガスを消したばかりのやかんを母が目を放した隙に触って軽いやけどをした手に

包帯を巻く彼が、哀れな甘え声で私を呼んだこと。

これまでいつも鮮明に思い出してきた。

 

1歳を過ぎた年の冬 車があるので家に帰ってきていると思った母の前から父と

弟の姿と、わずかの服と貯金通帳が消えていた。 事後承諾の別居。 愛人を

母と教えて弟を溺愛して育てた父がいる。 離婚は弟が成人し就職するまで成立

させなかった。 影に寄り添うようにして、母は弟のことを見守り祈り続けた。

 

私は20才になっていた。就職先は中学の事務室。 まさかの偶然。14歳になった

弟が通う中学校なのだ。胸が震えた。 顔を見ないわけにはいかない。 

ついウソで私はいとこなのよと言ってしまう(謎を刻印・・)。  

臨時職員なので、半年後に別の役所へと行く事になった私も、それっきり、

踏み込む勇気が無かった。 何も知らない彼にそれ以上どうしようもない。

私のコンタクトは発展しないままだった。 彼は高校入試の時に戸籍謄本がいる

ので父は不用意にも彼に取りに行かせたという。 その時母親の名前が違う事を

知って、父へ尋ねると、真っ赤な顔をして「俺は何も言わん!」と怒鳴られたらしい。

ショックで育ての母に泣きついたようなことを、当人の育ての母の口からも近年

父と3人で食事をしたときに耳にした。私は弟との絆を許してもらう義理を立てる

ために彼女と会う決意をした。父が会わせたがってもいたし。

 

 

 

高校生になった弟は仲良しグループが出来て、健康的な楽しい付き合いを

していたようだった。再会した折にそんな話をうれしそうに私に聞かせた。

話の中で、大晦日に皆で遅くまで出歩いたので、女の子たちを一人ずつ家まで

仲間で送り届けることにして、 ある家で、年越しそばをご馳走に

なった話が出てきた。 

実はその話の友達の女の子が中学生の弟から10年後の24歳の姿に

会う切っ掛けを作ってくれた事を、後になって私も弟も知ることになる。

 

地元一の進学校。いい友達がたくさんいた。そんな仲間の一人である娘さんは

たまたま、母同士で、独身時代からの親身な付き合いがあった。

母と弟の事情は何もかも知っているお付き合い。

娘さんも内情を知っていて、何かにつけて、写真をくれたり様子を聞かせたり

してくれた。 

母は今もAちゃんと呼び懇意にして帰省したときには顔をみたりしている。

JALのグランドホステスをして、パイロットさんと結婚されて、また偶然にも

関東圏に住まわれて、今年は卒業以来初めて、東京での同窓会で、弟と再会をして

下さったらしい。

 

10年後の24歳の弟に会えることになったのは、 大学院生の彼が就職が決まった

ことをAさんから教えられたことで、会いたいモードが一気に再燃したからだ。

大学へ電話をかけて、研究室の番号を教えてもらった。

 

つづく