歴史さんぽ
大宰府天満宮の参道入り口の、大宰府駅からバスで3駅ほどの距離に
観世音寺がある。何も予備知識なくして、立ち寄ったのは3日前のこと。
寺や神社はどんな小さなところでもワクワクできる、大好きな場所。
そんな私だったけど、なんとここは、九州隋一の仏像彫刻の宝庫だった。ここで、
平安、奈良の次元が息づいていたことを知らないでいた、そういう事に対しての
驚きが喜びに変わる。
寺へ向かうまっすぐな道は楠の葉っぱが作る涼しい空間。一瞬にして意識が変化するのが感じられる。大伴旅人の句が脇にあった。
わが岡の 秋萩の花 風をいたみ
散るべくなりぬ。
見む人もがも
大伴旅人 724年-729年には、大宰帥として妻・大伴郎女を伴って大宰府に赴任し、山上憶良とともに筑紫歌壇を形成した。妻を大宰府で亡くした後には大伴坂上郎女が西下している。byウキぺ
開基は天智天皇 造営開始は7世紀後半。東大寺、下野薬師寺とともに「天下三戒壇」のひとつとされる。
お堂の正面に石灯篭が置かれているのは韓国へ行った時に見たものと同じ。この地に百済の亡命貴族らが大量に訪れていたという。 その時代のことは韓国ドラマが生き生きとイメージを与えてくれた。
国宝 梵鐘 - 奈良時代。京都・妙心寺鐘、奈良・当麻寺鐘等とならぶ日本最古の梵鐘の一つと考えられている。
戒壇院
唐僧鑑真が、753年の12月26日に太宰府を訪れこの戒壇院の地で初の授戒を行った。開山は鑑真であり、戒壇院は現在も奈良時代以来同じ場所にあるとされている。
えぇ~・・。あの鑑真さんがここにいたのか。
あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく今さかりなり 小野老
自然にこの風景が残されたわけではない。平安末期には廃れたあと、畑と化して、忘れられていたらしい。近年に人々の努力によって、発掘、保存された場所。位置は当時そのままで移動されてはいないという。
照りつける太陽の下で、古の空間に体を委ねる快感があった。
その日の一番の目的地は筥崎宮だった。途中でふっと大宰府へ足が向いただけ。行ってみたくなる気持ちが湧いた時はいつも呼ばれた気がすると勝手におもってしまう。 週末は奈良へ、東京行きを変更していく事にしている。 兄が待ったをかけたので、延期にする。弟が仕事を休日返上で続けている今の時期に、会うのは負担をかけると言う。自分は1年間の韓国単身赴任で今から旅立つという日の電話だった。経費節減?でか、拠点を韓国においてのサウジ関連の仕事になったらしい。
敵国降伏のいわれ
”その意味は、武力によって敵を降伏させる(覇道)ではなく徳の力をもって導き、相手が自ら靡き降伏する(王道)という、我が国のあり方を説いています”
遠くに見える島は能古島・・たぶん。 韓国のほうへ向かって、
兄の無事を祈ってきた。
ももち浜にあるテレビ局の前にある福岡タワー。通りを渡ったら、
マリゾン。小さなビーチとレストランと。 博多湾を眺めて都会の喧騒を
しばし忘れるところ。 着いたらとたんに黒い雲が覆ってくる。そして雷と
大雨が・・。 最近は毎日のように、こんな雨がやってくるようだ。