breathdiary

                       

   

真夏に思う事

地球の歴史を一年に換算したら、ホモサピエンスが誕生したのは12月

31日の午後11時37分。 20世紀は午後11時59分59秒になるという。

        

          ”遊びをや せんと生まれけむ”

 

いつも いつの時代でも 色んな出来事が起きながら、全ては幻で、生と死を体験

するために現実を作った、だから戦争を繰り返してきたのか・・。極限の現実の

中で生があまりに悲しく、けれど輝いて消えていく。 このことに匹敵する心の

振るえと感動は私には無い。 胸の奥から伝ってきて、喉を押し下げ、まぶたの

筋肉が緊張する。体が涙でそれを証明したがる。 命を繋いでくれた先人たちに

感謝を捧げる記念の日がやってくる。

 

きのうはずっと行きたかっ大刀洗平和記念館で、今年は心を洗ってきた。近場すぎて

なかなか行かずにいた。鹿児島の知覧、靖国神社としっかり見てきた。

旅する場所では必ず何らかの戦争関連の所へ行くのが常。

文明とは戦争が影ではなく表だったと気づく。

 

 

        

 

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ルーブル美術館

 

ロンドンから夜行バスでフェリーに乗り込みドーバー海峡を渡って、パリまで

行ける。そのころ転勤になったばかりの兄にも会えるからと、旅行最後の2日間を

予定に組んだ。

ちょうど九州から京都まで夜行バスでいくような手軽な感じ。でも国境を越えるから、

そのあたりで、ドヤドヤと、警官っぽい役人がバスに入ってきては、パスポート

をものものしく調べるのところは、やっぱりあちらですなぁ。 

 

 

イギリス旅行で味をしめて、しばらく仕事をやめてインドへ一ヶ月ちょっと

行ってみる事にした。「世界の歩き方」というガイドブックを読んでいると

ついその気になってしまった。 神戸の震災やサリン事件の起こった年だった。

パリの兄の自宅でテレビを見ていたら、どうも東京のような映像があった。何が

報道されているのかは理解できなかった。兄から毒ガスが撒かれたらしいと聞く。

17年も昔のこと。 あの年は独特の不穏な匂いがしていたものだ。バブルでまだ

賑わって、物は売れに売れていた頃でもあったようだけど。

 

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野良牛と共存の世界 
左はバイクに屋根をつけたリクシャー
というタクシーみたいなやつ(ニューデリーの路地)

 

8月2日の真夜中にデリー空港へ着く。

機体が壊れないかなと心配になるようなエアインディアだった。

サリーを着たアテンダントはサービス精神というものは知らないで

いいと思っているようだった。 そんな中で、ひとり日本人のアテンダントが

かいがいしく動き回っていて、感心する。

到着を知らせるアナウンスはほとんど聞こえない。あんまりだ~。

時計は午前0時ちかく。 人が通路を動いているようだったけれど、

ぼんやりと見ていた。やっと気づいて、あわてて降りる。早くも冷や汗。

 

トイレへ入ったら綺麗なサリーを着た人にペーパーをちぎって渡してもらった。

なんて親切なんだと喜ぶ。トイレのドアから出ると、ワン ルピーと言う。

たぶん10円に満たない額だったのに、いきなりで気が動転して、マジになって

抵抗した。no,no, one rupe。と繰り返されて、何が悔しかったのか、もっている

100円玉を全部あげた。 何をやってんだか・・。

 

ニューデリーは大都会だった。メイン道路には大きなホテルや

航空会社のビルが並ぶ。 沢山の人、みやげ屋台の列。

土ぼこり、のしかかって来るような太陽の熱、気絶しそうな

程の貧富の差。 カルチャーショックで青くなる私を尻目に

空港で旅ともになった若い日本人の女の子は吐きそうになる

匂いもものともせず、路地のホテルへと向かう。彼女がいなかったら、

たぶんこの町で根をあげて帰国していた。

 

真夏が来るといつもインドの思い出と終戦前後の日本とに心がフォーカスしている。