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そういえば山笠

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昨日は 真夏色の雲の下を手が届きそうなくらいの低さで生き物みたいに小さな雨雲が動いて流れていた。お昼頃から気晴らしに電車で30分の福岡までお出かけ。カメラ持参でいったけれど、小刻みな動画を撮ってアップしようと思ったのでスナップショットを撮ってない。が、・・パソコンに動画が取り込めない。なんで?カメラがフル充電でないからなのか。ちょっとショック。 

 福岡の天神から中州川端を回って丸い円を描くコースが街歩きと博多情緒を味わうお決まりのコース。 今日から博多山笠の祭りが15日の夜明けまでのフィナーレにむけての始まりだ。 城下町、商人の町、神事と繋がる古い伝統の祭り、夏を迎える祭り。 日本のいたるところで こんな祭りが始まる。 人々が活気づいていく(はず)の先祖からの受け継ぐ宝物だな~。 ご当地博多の町はもう、ぐつぐつと沸騰し始めているぞ。 ここ久留米の町まで南へ下ってくると、その温度は悲しいかな届かないわけで、久留米人は何事もないようにして毎日を見送る。 博多どんたくと、山笠の違いをすまし顔で尋ねる人なんてざらにいる・・。祭りに興味ないだけにしてもねえ。

櫛田神社に着いたとき ちょうど6月30日大祓いの神事が始まるところだった。広島に行った時、広島城のなかにあった護国神社でもそんなパターンになり始めて、その場にいる参拝者もそのまま参加できるものと知った。 今回は博多散歩の中でまた偶然に。そして明日から様々な祭りの神事が始まるのだが、この大祓いには山笠行事の成功を願う祭りの正装である法被を着たたくさんのおじ様がたの姿があった。法被を着た まだ、オムツのとれない赤ちゃんから、高齢のおじいさんまでの全ての男たちが一同に会して祭りに登場するのを見ることの出来る、本番の3日前に最終のリハーサルのようにして、15日の早朝に舁き山が走抜けるコースを昼間に実際に走る行事がある。(小分けして地区ごとで、背の高い大きな舁き山を担いでの、走る練習も行われていてそれも行事である。何度かの練習と当然大規模な練習なしでは危険である。)博多どんたくに並んで、実に沢山の人がそれを見るために中州の大通りを埋める。この ”集団山見せ”と呼ばれる行事では広い中洲大通の車道は本番同様に通行止めされてステージと化し沿道にも同様に、桟敷席も設けられる。

まずたくさんの小さな子供たちの集団から、ちょこちょことかわいく走ってくるのが見え始める。 そのあと、勇壮な青年たちが必死の形相、大きな飾り山を担ぎ、渾身の力を出す一途な表情と掛け声で風のように走り去る。後ろから重鎮たちが悠然と歩いている。みんな同じ祭りの格好で。

なんだか人生の縮図が目の前を通り過ぎるような気がしてきて、いつもそこで胸がじーんときてしまう。 それぞれの世代の男たち、同じ目的のためにひとつになって、熱く激しく突き進む。それを見てると細胞が弾むような感じになる。数えるくらいしか見には行ってないけれど、本当に夏の風物詩そのものだ。 焼け付くような日差しの下、舁き山を大勢でそれは迫力ある勢いで引いていく。そしてふり絞るような大声のエンドレスな掛け声の叫び。 そこへ勢い水をざぶさぶと振りまく沿道の人。 とても動きのある光景だ。

 櫛田神社の中を一周し、それぞれの地区の舁き山たちがタイムを競うことで、15日の夜明け前の追い山と呼ばれる祭りのフィナーレの幕開けになる。マイク放送がタイムのアナウンスをまだ夜が明けきっていない神社のまわりを埋め尽くす人たちの頭の上に勇壮な”おっしょい!おっしょい!”と言うたくさんの山笠の男たちの大声と交じり合って響き渡るのを厳かに聞く。

櫛田神社の目の前にネオンの町中州が作られ、人々は日常を忘れる空間で酔いしれる。 そして、夏を迎える直前に極めつけの夜ふかしと夜明けからのフィナーレ。それは日本人の絆の情緒に酔いしれる時間となる。 

  きょうから博多の町は祝い事を控えたひとつの家みたいになる

「晴れ女」を自負する私はまた自信をつけた。雨はみごとに部屋へ帰り着いてから降り始めたから。