breathdiary

                       

   

新聞の記事が二つ並んでいる。一つは手術が終了し無事成功したこと、もう一つは富士山頂に夕日が落ちて光を放つ”ダイヤモンド富士”と呼ぶ年に2度しか見ることのない現象が現れたことの記事だった。偶然に時間が手術のあとだったことになる。 自然の現象の中に意味づけのような事を感じたいという本能的なものが私の中にもある。去年末に弟が母に会おうと決心がついたのは予想していたのよりも早くなり思いがけない喜びであった。その年の1月始めに母と二人で筑後川べりを歩いて水天宮までの初詣のとき、ふと後ろを振り返ったら、雨でもなかったというのに、川の両岸をちょうど180度の弧を描いて、虹が現れていた。しかもその地点は父の家庭のある場所から私のアパートあたりへの地点だった。不思議な思いになる。実際に3月に父とは兄一家に対面させるため、その半年前からやせるような思いでメールのやり取りを始めていた頃でもあった。