breathdiary

                       

   

終戦の日を前にして

 

太刀洗平和記念館というところへ、小一時間ほどで電車を乗り継ぐと行ける。

昨日は”元特攻隊員沈黙破る” 初講演会という事で出かけていった。 今年88歳である上野主計(かずえ)氏はこの記念館のある場所に近い朝倉市の出身である。「太刀洗に基地があり、特攻隊がいた事実を自分が元気なうちに伝えたいと、これまでは、そっとしておいてほしいと、公の場で話すことはなかったが今回記念館の依頼を引き受けたとのこと。 

 

どんな話が語られようとも、とにかく、目の前にその「人」が驚くほどに、元気で明晰は言葉で話をされている事にだけで心がじ~んとした。

 

淡々とただ 私情をはさむことのない経過のみを昨日のことのように語っておられた。  何かそこに、そんなところに意味を感じるものがあった。 冷静に明るく語られる言葉の奥に言葉に出来ないものの深さのかけらを感じて私の胸の切ない思いが心を釘付けにしていた。  あの清々しい曇りのない話ぶりとは裏腹に、流れてくるのは、見えないのに見える気がしてくるものは、何だろう。何だったのだろう。

 

佐世保から一人でやってきたという74歳のおば様から声をかけられた。一人で訪れた者どうしのよしみで話始める。 壁に掲げられた4人の隊員のレリーフが入り口を飾っていた。 その一人を指差して、これが私の叔父さんなんですと、言われた。 6歳のときに家の近くの空を飛んでいく戦闘機を指差して、あれに乗っているのが、叔父さんだと教えられて見上げていたのをしっかりと覚えているのだそうだ。 新聞で講演会のことを知り、叔父の事を知っているか訪ねたくてきたと言われた。 上野氏はちょっと困った笑顔で、考えながら、分かりませんと答えていた。 

佐世保といえば、最近のショッキングなニュースを思い浮かべる。 聞くともなしにその話題出る。 なんと、その加害者少女の家族とは知り合いであるそうで、またびっくり。 家庭内の闇に、そう簡単に外部の人間は立ち入れないものだとちょっと実感をするところがある。

 

貴重なゼロ戦の復元機があって、これだけは写真撮影がOKであったのに、いつものカメラがどっか紛れて、出かけ間際に見つからず、写真はな~いのです。とほほ・・。

 まだ20歳そこそこの男子たち。なんという達筆。 なんという力強い言葉。家族への愛。 へなへなに涙する感動です。 

たびたび訪れてくまなく眺めたい思いがします。

誰だって 戦争なんぞしたくないわけです。 好き好んでやろうとするのが政治を動かす上層部。次元の異なる自分の腹は痛めない輩でしょう。 

これまではそうだった、だからこれからはそうであってはいけない。

でも、どこまでそんなファンタジーが叶うのか。 

戦闘機の時代を迎えるほどに、世界は発達を遂げてから、戦争の無慈悲さも加速度をましたようですね。 

無抵抗な無防備な町、市民を狙い撃ちにして、自分たちは安全圏内という空の上。  

人間の命を爆弾にして、空から敵へ突っ込めと命令する軍隊。

 

そうまでして、守りたいもの 残される命と国家という財産ですか。

 

馬鹿は死ななきゃなおらない? 人類は滅亡しなきゃ悟らない?

ああ。人生は楽しい・・。 この瞬間に生かされているという感謝を忘れたくないものです。