breathdiary

                       

   

とりとめない気持ち

潜在意識というもので、人は何かと繋がっているんだろうと思う。偏在する波動というものかもしれない。アンテナの具合次第でそれをキャッチするというか、つかまってしまうというか・・。 物質も突き詰めていくと、粒子であり、その先の波動であるということ、すべてのものは波動であるらしい。

リアルな夢を見始めると、また今夜もかと、軽く身構えるというか、今も頭の芯に残る不穏な意識がエネルギーを漏電しているかのよう。 漏電でもあり、または、それの流れる先のものに繋がってしまってるってことか。 

父はまわりくどい事だけする。 気にしているふりだけ見せる。

真心だけなぜくれないんだろう。 飾らない心だけくれたら 笑って会えるのに。

父の心の奥の孤独な黒い霧は弟の人間としての尊厳を傷つけるほどに、自分のシナリオどおりに書き換える自己中心性へと変貌し その闇を反面教師にしたという彼は道を外れることなく自分の選んだ仕事に没頭する生活。 

いまだに霧に悩まされ、傷ついているなんて、ありえないようなことが現実的に問題として心を噛む。ちょっと情けなくもある。 先日の弟のメールのやりとりもまさにそんな内容のこと。

ある意味幸せな悩みにも見えては来る、この年齢までくれば・・。親の介護で苦労する現実を知る中で、あくまで元気で自立生活を送る父と再婚相手。赤ん坊だった弟を勝手に連れ去り自分たちの子だとして育てた。 死ぬまで真実を明かして認める気はないと開き直るばかりの父。 生みの親から引き離した事の罪。出生の真実を明かせない父を弟は憎むというより、毛嫌い、嫌悪している。

 

この私ら兄弟3人のことを、きちんと光に当ててなんとかしようと決心できたのは一昨年の兄嫁の後押しだった。 彼女の中では、生き別れたままの父親と兄が、そのままでいいのかというのが大きいらしかった。 私の知らない中で、母と彼女は兄へ、ちょっとした節目の時期があって、会ってみないかと話したという。兄が強く嫌がったことで立ち消えに。 

去年の3月 例年どおり春のお彼岸参りに帰省してくる兄一家。片道飛行機で、帰りは開通してまもない九州新幹線を利用して、博多で乗り換えあとは横浜まで一直線という行程。  

新しくなった駅の構内で父は兄たちを待っていた。 まだ一度も会った事のない生きている祖父の姿を孫である息子に見せておきたいと、兄嫁が私へ言った言葉が私に行動を起こさせずにはいられなくした。 そこへ至るまでには 情けないへなちょこ弱気な自分の心に思いがけず出会って戸惑い、自分をもてあます時間は長く続いて苦しさを楽しめたことにもなる。どう名づけたらいい感情だったろうか。  

 

帰りの新幹線へ乗り込む少し前のわずかな時間だけでも作って、記憶に留める場をもうけることにした。  兄は悪感情を顔に出さないタイプの人で、 自分より小さくなっていた父をしょうがないいたずらっ子でも見るように、かわいい苦笑いをする。

甥っ子のはにかんだあまり見せないうれしそうな笑顔もそこにある。
兄嫁の顔一杯の笑み。

 

もう一度 振り出しから整理して 父と母の縁を結ぶ小さな地点から振り返りたい気持ちに成り始めて、こんなことを思い出している。