breathdiary

                       

   

花に宿るものは

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いつまで咲き続けるのだろう。 去年の12月に花はすでに終っていたミニシクラメンが、なぜか3月の半ばから3枚の葉と1本の花が育って行き異様に長く伸びたままもう3週間以上になる。今朝もまだまだ元気に頭を上げている。何かが宿っているとしか思えなくて、写真を何枚かとっている。花だものきっといいものに違いないよね。

仕事のほうでは片手落ちの結果が多くて信用をなかなか得ることができないでいる。このままなら、自分に負けてしまいかねない。どうしてこうなってしまうんだろうかと、これから考え続けていかなくてはいけないだろうと思っている。 心の隙間、一人暮らしの気ままさにいつまでも甘え続けてきたことの付けを払う事か。苦労しなければいけない。ぼんやりする癖、幻想を追っている癖。死ぬまでには改善しようね・・。間に合うのかな。 大転換が訪れるといって、危機感や恐怖感を感じたねずみの年から、辰の年をむかえているけれど、幸いまだ都市機能は平常通り、何事もない。

病や孤独や悩みからの開放のように思えて呑気に構える自分。辛い努力が嫌いな自分の報いはなんなのだろうか。毎日起きる目の前のことでわからなくてはおかしいだろう。 落ち込んでいるわけではない。不思議なほどに心は何も感じていない。 いつもの私なら、若い頃の私なら、胸が苦しくなって 眉間にはしわがよって、頭が重くなって、顔が暗くなって、心の中で、恨みつらみの感情を味わっているのに、どうしてか、もうそんなことにも飽き飽きして、どうでもよくなった。そんなことをしていて何か改善されたり、解消されたりするわけでもないのだし、そこに何となく、気がついたような自分を見て、うれしいものがある。 喜んでばかりもいられないけど、あ~片付けだよ、引き出しから始めなくちゃ。リハビリはすぐ目の前にすることがある。わかっているんだけど・・気が重い。