ケアワーカーの日々
急遽、夜勤の入りに変わることになった。どうも元々、問題のあったあの夜勤専従者の女性がもろくも あまりに単純な出来事で解雇となったようだった。 今時、あんな言動で介護する人がいて、それを代わりが見つからないと言いながら、放置されてきたことに正直驚いていたものだった。はっきり言って高齢者を大声で罵倒し続けながら威嚇していた人。年齢はなんと70歳のそのひと。弱い物言えぬ相手とみて強がる姿、最新の特老ホームでのブラックな存在。人格を疑うその人らしくまるで天の采配みたいな偶然の出来事であっけない最期となった。新しい利用者が現金をこの分だけは自分が持っていたいというのを受け入れた日の夜に一部がなくなる。翌朝大騒ぎのあと数日たってのこの出来事。なんだろうねえ・・どこか心が病んでいたのかなその人。
ささやかMY旅 フォト回想
去年11月の末 高速船にのってなんとなくの釜山行き。
お昼をとうに回った頃の玄界灘
性懲りもなく、 I love Korea. 4日間休みを取ってまたぶらり旅。
午後5時過ぎに釜山港へ到着の高速船が福岡から往復4900円で発売されるようになった。 JR九州さんサンキューです。でも、夕方到着便のみ。着いたら
すぐに日が傾き始める。
今回は全州(チョンジュ)へ行ってみよう。ビビンバの故郷とか言われてます。
ローマへ行く時利用した大韓航空の機内食のビビンバのおいしさにぐぐ~っと惹かれて、この国への興味が強烈に心の片隅に居座ったのを思い出す。 コチジャンをあなどって、辛さに参った後で、調子悪くなったのも、初めてのローマに緊張していたから。 イヤホンでラジオのイタリア語を聞き続けているうちに全く分らないのが不安で気持ち悪くなってしまった。
空気を通した人の声の外国語であれば、わからなくとも楽しくて愛おしくなることをその後には実感したのだけど。 ローマ旅のあと、職場で、おはようのかわりに喉元までボンジョルノと思わず出そうになる自分がおかしかった。
韓国語もそうだなぁ。耳で聞いているうちに愛しいなつかしい言葉になった。
そういえば、ユースホステルの隣のベットの女性はソウルの人だった。しばしの会話を楽しんだ。(英語うまい!)彼女はエジプトからローマへ入ったという。
素敵な人だった。触発されて、このときソウルへ行ってみたいと強く思ったものだ。
あれから2年後の2010年からこれまた思いもよらず、韓国旅の虜になった次第で~す。
船を下りてターミナルから歩きなれた通路を歩く。
周りには日本語が消えている。一瞬・・一人旅、さびしくないのか、
いいかげん飽きただろ・・。醒めた自分の声が自分の日常次元の中から
聞こえて来た。 その声に答えて あ~、あたしもそうだよね~。
でも、顔をあげて息を吸い込んで国の空気が体に入り込んできて、歩く足の
リズムが次第にで自分を変えていった事にほっとする。 しばしさよなら、きの
うまでの狭い箱の中の自分。
チャガルチ市場を通り抜け、チムジルバンでゆっくり夜を過ごした。
翌朝 地下鉄で市外バスターミナルまで行く。
コンビニ内でおでんがこうやって食べれます。
大きなシートで快適に、3時間はかかるものの・・。
雨まじりの全州に到着。 高速バスターミナルからさらに市内バスで
10分ほど。 途中、教会の建物が多いのに驚く。
そしてランドマークのようにそびえる殿洞聖堂前にきた。
最初の殉教者処刑の地に建てられたというロマネスクのレンガ造り。
土曜日とあって、若い人たちで賑やかだった。 自分撮りスマホで
動画を撮りながら歩くカップルが目立つ。
想像していたのはもっと閑静な田舎町だったのに、まるで違う。
教会の前あたりからがチョンジュ ハノマウル(全州韓屋村)の
観光地入り口のようにしつらえてある
案内のガイドさんも立っていた。 すぐ先に観光案内所もある。(あとで
知った・・。)
さっそくのビビンバ専門店もそこに建っていた。
天気悪いし、カメラをうまく使いこなせなくて、面倒な気分の
ショット。
韓屋村 観光地として整備されたかなりお洒落なエリアになっている。
たくさんの若者たちでにぎわっていた。 想像とかなり違う。
この裏のゲストハウスへ入って見る。
両班家屋作りのタイプ。
誰もいない。ベルもない・・。しばしうろうろすると、やっと おばさんを発見して、尋ねて見るけれど互いに言葉がダメ。 察してはくれて、携帯電話で息子さんへつないでくれた。オーナーのお母さんらしい。
これまた互いに危うい英語で話す。値段は相場より高いので辛うじて強気で値切った。やれやれ・・。
荷物を置いてまた、通りへ出た。
揚げ物専門のファストフード店 若い人で満員。
みやげ物屋に、伝統工芸店と、洒落た食べ物屋さんでいっぱい。
これは、キセルらしい。
翌日も小雨の朝を迎えて、この初めてのエリアを散策してまわる気力は持てず
高速バスを使って、ソウルまで行ってしまう事にした。 ソウルはかなりの雪だとテレビは言っているけど。
3時間のバス旅。途中から雪景色の道になった。
ソウル到着の翌日 早朝 めざすは「安 重根 記念館」
一転して快晴 でも体験したことない不思議な超低気温だ。
体は衣服の中まで冷たさは感じるわけではなく、耐えられるけれど、手袋をはずしてカメラをもとうものなら、一瞬にして危険なくらい半端なく低温の痛みがくる。 本当に、氷水に手を入れたときのような危なげな痛みだ。
水溜りの氷・・。潰してやれ。 で、何これ!スケートリンク並みの固さでおよよ。
前回入れなかった場所 ふたつ。 この記念館と現代美術館別館に行ってみる。
愛国の志士として、祭り上げられたアン ジュングン(安 重根)という人。
この記念館が、日本のことをどんな風に描いているか興味深々だった。
でも・・・な、なんと。
全部韓国語しかない。 とはいえ、雰囲気とか、パネルを見てほっとした。
日本批判のための装置かと、思いきや、そうでもないようだったから。
入り口に真っ白で、びっくりするほど巨大な彼の銅像が置かれていた。
神社という装置がもてない風土のなせる業かなという感覚におそわれた。
南大門に向かって公園を降りていく。 この写真を撮るためにはずす手袋のわずかの間すら凍りつくあまりの手の痛さに驚きつつ耐えている・・。
あぁ なんてきれいな空。 じっと見ていたらまた、親切な韓国のお父さんは、わざわざ近寄ってきて、撮ってあげようかという、ポーズ。
クールに首を振ってごめんなさい。 いつもならその気遣いに胸が暖かくなって、人懐っこく笑えるのに。寒さにこわばった顔は、気分も固まる。
殺人が英雄行為となる隔たりが存在する現実。
人を隔てる海、国境、イデオロギー。 これからの世はどこかでジャンプしないといけないのではないのか・・。夢物語。
光化門までの一直線の道をのんびり歩く。
青空が出迎えてくれたソウル。 シャッターを切らずにはいられなくなる。
何回も撮った場所だというのに・・。
私のソウルフードとなったおでんとキムパッ(韓国風海苔巻き)を
ソウルで食べる。 シンクロワード・・。
景福宮という故宮と複数の博物館のある場所の中に国立現代美術館別館を作った意味ってあったのかな・・。大きな窓から見える隣の王宮の建物をコラボして演出していた。 展示内容は ひとつ、ひとつが大きすぎるし、突飛すぎるし、単純でもあり、繊細さもなく奇異な感じで 楽しくなかったというのが感想。
無数のお洒落で繊細な土産物屋さんに溢れかえった通りへ続く道を覚えた。
ガイド本でも一押しのエリアだったみたいだけど、足を向ける時間も今まで
はとれなかった。
そのまま、ソウル駅へ向かってKTX新幹線で釜山へ帰る。
翌日の釜山港 寒さはどこへ。 この景色を撮ってベンチでカフェのコーヒーを手に持ってぼ~っと飲んでいた。 ジョギング中だという元気なおば様が話しかけてくる。
一人で居る私をチアーアップしてくれてるのが言葉は分らなくてもよく伝わってくる。 身振り手振り大笑い いい人。毎日ここへ走りに来るんだよ、 言ってる意味が分るのは空気が伝えるから? しゃべるだけ、しゃべるとまた走っていった。
あ~、また旅の最後にいつもながらの人の情緒のプレゼントかよ・・。と思ってしまう。 Loveコリア
休日のつぶやき
インフルエンザに感染したという人たちが出てくると、検温回数が増えて時間をとられてしまう。 その病棟にいる職員の友人と、韓国行きのミーティングを兼ねての3人でのお食事会は大丈夫かしら。 この田舎町でも、洒落た都会風の創作和食の店があり、行って見たいという。 お店の名前を聞けばイタリアンかと思った。
中華料理、インド料理、和食、イタリアン、フレンチ、それなりにいつでも、気の向くまま、趣向の違う料理を日常的に楽しんでるわけだ。 というか、それを当たり前としていることが、日本スタイルと言えそうな気がする。
マックでは肉以外のハンバーガーしか食べないのだけれど、久しぶりにそれを注文した。 20年位から、かっこつけて?プチベジタリアンを気取っていたので、注文する時には全く視野には入れない部類のもの。 最近はその気取りもネジがゆるんでいる。 肉を食べたくなったというより、どんな感じだったかな程度。 ピクルスとケチャップの味が肉よりもインパクトをもってるな。そこが懐かしかった。有難がって?食べてた10代の頃がフラッシュバック。 マックのお肉は若者がエネルギー源にする代物だなという実感も。 肉の匂いはやっぱりもうご遠慮したい部類と化している結論もあり。
値段を出して、おいしいお肉を求めないですむし、牛肉食べない派は継続。
でも昨日、これまた久々ハンバーグなんぞ(安いので)を作っておいしく食べたでござる。